広まちづくり新聞(ウェブ版)

2017年10月11日(水) 広まちづくり推進協議会(随時発行)

広の元気人を紹介

広の元気人「広商店街振興組合 岩見 芳信 理事長」

岩見理事長
今回の元気人は、「広商店街振興組合」理事長の岩見芳信さんです。
広商店街で昭和21年に創業した「岩見金物店」の店主を勤める岩見さんは、今から18年前に結成された「広商店街振興組合」の理事長として、商店街の賑わいを取り戻すために、努力されています。
今回は、広商店街に対する想いから理想とする商店街像、そしてこれからどのようなことにチャレンジしていきたいのか、岩見さんに伺いました。


商店街で働くようになったきっかけ

- 今日は取材にご協力いただきありがとうございます。
   まずは、岩見さんが生まれてから広商店街でお店を開くまでの経歴を伺ってよろしいですか。

岩見さん 私はここ(広商店街)で生まれ育ったのですが、地元の高校を卒業したのち、東京の大学へ進学しました。
その後、東京で就職してから3年ほど働いていたのですが、実家が金物店を営んでいたので、跡継ぎをして親孝行したいのと、もし店を継ぐとしたら早く会社を辞めないといずれ会社に迷惑をかけると思って、妻を連れて一緒に広へ戻りました。

- 東京で勤務されていたのですね。趣味はありますか?
岩見さん 大学時代はスキーにはまっていて、暇があれば東京周辺でスキーをしていました。スキーは40歳頃まで続けていたのですが、こちら(広島)に戻ってきても、県北に行けば雪があったのは意外でしたね。40歳を過ぎてからはゴルフをするようになりました。お店のこともあるので2ヶ月に1回程度しか行けないのですが、スキーは体が覚えているので滑れますが、ゴルフはそうもいきませんね(笑)

- お休みはどれくらいあるのですか?
岩見さん 毎週日曜日が休みです。今では日曜日もお客さんが減ってしまったので、何かと経営も大変というのが現状です。

- 広商店街振興組合のことをお聞きしてよろしいですか。
岩見さん 広商店街振興組合は、昔は30名ほど役員がいたのですが、今では5名(ブティック福間、杵屋、かわい精肉店、㈱野呂、岩見金物店)だけで運営しています。広商店街で最も大きな行事として続けている「土曜市」が今年で40周年を迎えましたが、何とか我々がいるうちだけでもこの「土曜市」だけは続けていこうと声を揃えています。


商店街の光景

- 最近では広島国際大学の学生さんと一緒に催し物をされているようですね。
岩見さん そうですね。ただ、学生さんは大学の授業や試験などもあって結構忙しそうなので、一緒に何か協力してやりたいのですが、なかなか都合が合わないのが残念です。学生さんは私たちには無い素晴らしいアイデアと行動力を持っていて、逆に私たちには「あれならできる」「これはできない」といった経験があります。これまでにもギネス記録に挑戦したり、灯篭を使ったりする企画などを提案してもらったんですが、なかなか思うように実現できなくて、申し訳なかったですね。

- 商店街を盛り上げるために、若い力が必要とされているんですね。そもそも商店街は昔はもっと人がたくさんいたと思うのですが、いつ頃から状況が変わってきたのでしょうか。

岩見さん 近年は大型スーパーが流行っていますよね。大きな駐車場があるから車で行けるし、全て必要なものが揃っていて、手っ取り早く必要なものを買うことができますから。
この金物店は、明治40年に朝鮮半島の鎮海市で創業し、終戦後の昭和21年に広商店街へ移ってきました。広商店街自体は、大正時代から商店街としての形を作ったのですが、少しずつ形を変えながらも活気がある商店街でした。
しかし、車社会になって、皆さん車で移動されるようになって、広にも大きな道路が増えてからは人の動線が変わってしまい、お客さんも少なくなってしまいましたね。全ては道が出来て、人が車で動くようになったことが大きな要因でしょう。

- お客さんが減ってしまってもご近所付き合いは続いていると思いますが、仕事をされている時の岩見さんの楽しみは?
岩見さん 私たちがこうしてお店を続けられるのも、結局、対面販売を醍醐味としているからです。最近の大型店舗は圧倒的な敷地面積と品数で、販売力では勝ち目がありませんから。その代わり、我々は古くからのお客さんを大切にしていますし、お茶でも飲みながら話をしたり、商品などの相談にも乗ったりします。最近の若い人はそういった習慣がないのでしょうから、時代と言われれば仕方がないのかもしれませんが。

- 東京の下町に見られるように、歩行者天国にする計画はないのでしょうか。
岩見さん 皆さん最近はもっぱら自動車で移動することが多いので、この商店街は車で自由に来て、店に立ち寄ることができるように、車での利便性を活かしてもらっています。


若い世代のために

H24土曜市
- そちらに飾ってある土曜市の写真を見ると、今でも溢れるくらいの人が来られるんですね。そう考えると、皆さん商店街のことに興味が無いというより、むしろ気になっているような気がします。
岩見さん 昔はカラオケ会場のほかに、お化け屋敷なんかもやっていたんですよ。今では組合の役員が少なくなって、我々だけではできなくなってきました。やっぱり土曜市は今年で40周年を迎えた商店街で一番大きなイベントですし、何より親子連れで地元の地域から縁のある人がたくさん集まりますから、これからもずっと続けていきたいという思いが強いです。12月の歳末宝くじ大会も大きなイベントとして続いています。

 

- 土曜市では広島国際大学の学生さんが協力して、イベントを成功させようと頑張っています。そういった若い力と一緒に何かチャレンジしたいという思いはありますか。
賽銭箱

岩見さん 若さと豊富なアイデアは学生さんにしか無いものですから、いま協力していただいている学生さんが卒業するまでには何か一緒にやり遂げたいと思います。先日、商店街の入り口にある七福神の像のところに賽銭を置かれる方のために、自作の賽銭箱を置きました。そして、現在、冬場の時期に向けて進めている企画もあります。こうやって何かを形に残すことが、誰かにメッセージとして伝わってくれれば良いと思います。

- 最後になりましたが、いまの若い世代の子どもたちにメッセージはありますか。
岩見さん 白岳小学校でも先日、たくさんの子どもたちの前でお話させてもらったんですが、子どもたちが親になったときに、自分の子どもたちに、自分のふるさとのことを伝えることができるように、ずっと広のまちには変わらないものがあるから、それをずっと忘れないで欲しいと思います。そして、広の商店街を忘れて欲しくないので、次の世代にも受け継がれるように、何か形を残せるように頑張りたいと思います。


編集後記

テレビもゲームもまだ普及していなかった頃、お小遣いを握り締めて駄菓子屋でお菓子を買っていた思い出はないでしょうか。昔ながらに残っている記憶は、ずっとその人の心の中に残り続け、子どもたちに語り継ぐことができます。しかし、そういった経験をしていない若い世代の子どもたちのために、ふるさとの商店街を忘れて欲しくないという思いを込めて、何か形を残そうと努力されています。
 昔と比べて、商店街には人通りも、お店の数も少なくなりましたが、毎年、土曜市で多くの人たちが集まる光景を見ると、もう一度、商店街が活気を取り戻せるように、地域と商店街が一緒になって何かできることがあるのではないかと感じました。


2012年10月4日(木)紹介
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